日本のマグロの漁獲量は、1963年をピークに毎年30万~40万トンと世界1の座を誇ってきた。しかし、2002年を境に激減し、アジア諸国や南米の国々にその座を奪われている。これは、新たにマグロビジネスに参入する国が増えたこと、国際委員会による漁獲規制を忠実に守っていることが理由だ。残念ながら、規制を守らずに乱獲する国があり、マグロの数は減り続けて、今や絶滅危惧種になっている。
そんな中、マグロ一本に絞って起業した人がいる。「キセキのマグロ」というブランドマグロを販売する宮川大輝さんだ。
目利き名人・宮川輝雄が選ぶ天然マグロ
大輝さんが扱うのは、「マグロの目利き名人」と呼ばれる父・宮川輝雄さんが選ぶ最高級のインドマグロのみ。これが「キセキのマグロ」だ。もともと祖父が、神奈川県の三浦半島・三崎港でマグロの卸を始め、父の輝雄さんは祖父の元で修業をして35年前に独立。横浜でマグロ卸の店を開き、仲買として名うての目利きとなっていく。
遠洋漁業の船は、世界の海を回遊しているマグロの脂がのった時期を目がけて、漁場に行く。船上ですぐにハラワタを出して血抜きをし、瞬間凍結されて、漁場近くの港からコンテナ船で静岡県の清水港に運ばれ、日本中の市場に出荷されるのが大方のルートだ。
仲買人は巨大な冷凍マグロの切りとられた尻尾の肉質を見て、鮮度、脂の質、健康状態をチェックして買入を決める。トップクラスのAからEというグレードに分け、顧客が求めるグレードのものを選びとる目利きが求められる。目利きができなければ、仕入れたマグロを、適切な価格で求める顧客のもとへ届けることはできないのだ。
輝雄さんは自分の目で選んだマグロを、自分でさばいて店に出し、料理人のコメントも直接聞く。そのため、見た目の判断が実際にどうだったのかを確認することができ、目利きの精度がどんどん高くなっていった。それはつまり、無駄なく顧客が求めるグレードのマグロを出せるということだ。「キセキのマグロ」のグレードに値するものは元々数が少ない。だからこそ「父の目利きが必要です。父は名人と呼ばれても驕ることなく、真面目にマグロに向き合っています」と大輝さんは言う。
「キセキのマグロ」のミッション
「起業の一番の目的は、天然の美味しいマグロを未来に残したいということです。それがキセキのマグロのミッションです」と大輝さん。大阪の企業に勤めていた頃、父のマグロを知り合いにふるまうと、誰もが「ものすごくおいしい」と言う。起業を考えていた大輝さんは、2016年から2018年の3年間、週末になると大阪から父の元に通って仕事を手伝っていた。すると業界のいくつもの問題点に気が付く。
市場の仲買人の高齢化、跡取りがいない問題、マグロの水揚げ量が少ないということ…。
本マグロ信仰に対して、冷凍マグロは評価が低く、「市場関係者は、跡を継ぐより今の企業にいる方がいいと言いました」。でも大輝さんは考える・・・・・・。
「もしかしたら将来、三崎市場がなくなるかもしれない。市場の危機的な現状は、目先の利益を優先させてきた結果ではないだろうか。父が選ぶ美味しいマグロを残したい。地元の産業を守りたい。ならば自分が、できることは……」と。
「父の目利きの技術を受け継いだら明るい未来が待っているかというと、決してそうではありません。天然マグロの良さ、漁の厳しさ、そういったものを生産者に近い人間が、付加価値として伝えて、消費者に理解してもらわないといけないんです。そのためのしくみを作りたい。このマグロを消費者に届け続けることが僕のミッションです」と大輝さんの決意は固まった。
「キセキのマグロ」販売開始
大輝さんは、インターネット販売からスタートした。食べてもらえたらファンになってもらえる、と自信はあったので、新規の顧客にどう伝えるかを考えた。
その時にアドバイスをもらったのは、芸人でありクリエイターの西野亮廣氏。彼が主宰するオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」に入り、「ギブをしまくって、たくさんの人に食べてもらえるイベントをやればいい」との言葉をさっそく実行に移す。飲食店とコラボして、マグロとワインのマリアージュなど、いくつもイベントを開催して、多くの人に食べてもらった。まだ会社勤めを続けていた時なので、スケジュール的にはハードだったが、百発百中で美味しいと言われ、参加者の多くがネット販売につながった。
勤めを辞めて市場の近くに住まいを移してからは、さらに動きは活発になる。食関係に強い「Makuake」でクラウドファンディングに挑戦すると、2日目には目標金額を達成し、最終的には目標の約3倍の金額まで出資が集まった。
狙いどおり新規顧客を獲得したわけだが、新しいもの好きの出資者たちは思ったほどリピーターにはつながらなかった。イベントに参加した人は70~80%がリピーターになるという、その高確率と比べての話だが。
直接顔を合わせて自身の思いを伝えた、その熱量こそが人を動かすのだと気付いた大輝さんは、西野亮廣氏の真意もここにあったのかと改めて感謝するのだった。
「キセキのマグロ」量産に向けて
より多くの人に知ってもらうために、ユーチューバーやインフルエンサーに「キセキのマグロ」を紹介してもらったり、人と会ったり、大輝さんの活動は続いている。
実は「キセキのマグロ」として出せるグレードのインドマグロは、多くても月10~15本。600から900セットしか顧客に届けることができないのだ。超高級料理店に納めても遜色ないグレードの高さゆえに、そもそも市場に出る個体数が少ない。さらに、当初はそれを職人による手切りのみにしていたため、月2本くらいしかやってもらえなかった。
2020年末にふるさと納税の返礼品になってからは、手切りと電動のこぎりを組み合わせて、それでもようやく月15本だった。それが職人を増やしたことで、2022年の年明け頃からは全て手切りで量産できるようになる。
電動ノコギリを使うと効率は上がるが、マグロの骨のまわりの丸みのある部分を直線的に切ることになる。そのため手切りに比べて1mmほど余分に削れてしまい、出来高が2,3kgも減るのだ。骨に身が残らないようにするには高度な技術が必要で、職人たちの協力によって可能になった。
「いろんな職人さんのすごい技があって、めちゃめちゃ美味しいマグロが届けられるんです」と大輝さん。こういった職人の技もひっくるめて伝えるのが自身の役割だと感じている。
未来に向かって
「かつてメディアはテレビ主体で、大手がビジネスをやりやすかった。しかし、今は個人が発信できる時代だから、現場に近い人間が正しい知識を伝えることができます。情報発信にはさらに力を入れたい」と言う大輝さん。
今後は、スーパーで普通に売っているメバチマグロの天然のものも仕掛けていくつもりだ。ここでもポイントになるのは味の良さ。大海を泳ぐ天然ものは筋肉質で筋があるが、ねっとりと天然のコラーゲンを含んで、食感も味も抜群だ。
「天然のメバチマグロは本当に美味しいのですが、動きが激しいために血栓が他のマグロより多いため、サクのままでは売りづらいのです。角切りにするなど加工が必要なので、飲食店のニーズと合わせなければなりません」
味は良くても見た目が悪いため、高級品として販売しづらく、ネットでは弱い。
「資金を貯めて、自社でメバチマグロの良さを伝えられる飲食店をやってみたい」と次のステップを目指す。
2020年からのコロナ禍で飲食店は休業が続いた。卸売りをする仲買も大きなダメージを受けた。1kg1000円だったものが、2020年6月~7月は200円から300円にまで下がり、商売にならなかった。また、遠洋漁業は1年単位で漁に行くため、急激に漁獲量を増やすことができない。コロナ禍で遠洋漁業が中断していたため、2021年11月頃は供給量が減って、高値が続いた。これも年明けくらいには、従来の供給量に戻るだろうと予想されている。
先に述べた世界的なマグロの激減に関する問題では、広い海上で国際的な取り締まりが難しい以上、どこの海で誰がとったか、それが適正な漁業だと認証するしくみを普及させることも必要かもしれない。
取材:株式会社ウエストプラン